七福神について

七福神とは

七福神(しちふくじん)とは、インド伝来の仁王経の中にある「七難即滅 七福即生」という仏教語に由来する。福徳の神として信仰される七人の神として日本で信仰されている七柱の神である。七柱は一般的には、恵比寿、大黒天、福禄寿、毘沙門天、布袋、寿老人、弁財天とされており、それぞれがヒンドゥー教、仏教、道教、神道など様々の背景を持っている。

 

 

七福神の歴史

インドのヒンドゥー教の神である大黒を台所の神として祀ることは最澄が比叡山で始めたことで、 それが徐々に民間に広がったという。これが民間において日本の土着信仰の神である恵比寿とセットで信仰されるようになった歴史的な経緯はよくわかっていない。

平安時代以降、京都の鞍馬の毘沙門天信仰から始まった毘沙門天に恵比寿・大黒に加え、三神として信仰されることが起こった(初期の恵比寿は毘沙門天を本地とすると考えれていた)この三神セットのパターンはかなり後まで後まで一般的なであったが、平安末期・鎌倉初期の頃、近江の竹生島の弁天信仰が盛んになると毘沙門天ではなく「恵比寿・大黒・弁財天」とするケースにも増えた。室町時代、仏教の布袋、道教の福禄寿・寿老人なども中国から入ってきてそれぞれに知られるようになり、それらをまとめて七柱の神仏のセットが出来たのは室町時代末頃、近畿地方から始まったものである。

 

中国の文化に影響され、大陸的な水墨画が多く描かれた。もてはやされた画題は「竹林七賢図」。 この絵に見立てて、人々は別々に信仰されていた7つの神を集め、七福神とした。ただし、当初はかなずしもメンバーが一定していなかった。

 

 

江戸時代にはほぼ現在の顔ぶれに定まったものの、その後もバリエーションが生み出されることがあった。寿老人と福禄寿はともに南極老人星の化身とされることから、この二者は本来同一ものとみなし、寿老人の代わりに吉祥天・お多福・福助・稲荷神・  ・虚空蔵菩薩が入れられることがあった。

 

 

他にも宇賀神・達磨・ひょっとこ・楊貴妃・鍾 不動明王・愛染明王・白髭神社が七福神の一人数えられたことがあった。(不動明王と藍染明王、またはお多福とひょっとこはセットで入る場合があッった)。

奈良時代から独立した信仰の対象として建立されていたが、明治時代の神仏分離の際に、神道神社となった弁才天の社のようなものもある。古書では、徳川家綱将軍時代の1713年に、和漢書『吉原七福神』全5巻が出版されている。

 

 

また、諸説ある中で、七福神は聖徳太子のわけ御霊とも言われ、聖徳太子の知恵を分けた神として位置づけられる。本来の形は八福神であったとされ、八福神である吉祥天は真名美という繁栄の運の学びの神であったとされている。

 

 

八仙起源説

八福神の起源はインドである。このインド由来の神は中国に到来した。中国では、七福神に似た八仙(八福神)と呼ばれるものがあり、全てが実在する人物(仙人)であったといわれ、各地でその姿を描いた絵が信仰の対象になっている。絵は日本の宝船に乗る七福神時に似た、八仙全員が船に乗った海を渡っているという場面を描いたものが主流なので、この八仙が元になったする説がある。

 

 

・漢鍾離(カンショウリ)(富) ・韓湘子(カンショウシ)(小)

・張果老(チヨウカロウ)(老) ・韓湘子(カンショウシ)(少)

・呂洞濱(リョドウヒン)(男) ・藍采和(ランサイワ) (貧)

・李鉄拐(リテツカイ) (賎) ・何仙姑(カセンコ)唯一の女性(女)

七福神


恵比寿:

伊邪那岐命・伊邪那美命の間に生まれた子供「蛭子」(ヒルコ)、もしくは大国主神の息子である 「事代主神」(コトシロヌシ)などを祀ったもので古くは「大漁追福」の漁業の神である。時代と共に福の神として「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす神となった。唯一日本由来の神である。

 

大黒天:

インドのヒンドゥー教のシヴァ神の化身マハーカーラ神。日本古来の大国主神の習合。大黒柱と現されるように食物・財福を司る神となった。また親子関係から恵比寿と並んで描かれるこ

とが多かった。

 


毘沙門天:

元はインドのヒンドゥー教のクベーラ神。福徳増進の神であったが、仏教に取り入れられてから、戦いの神として次第に民衆に信仰される。日本では毘沙門天(ヴァイシュラヴァナ)と呼ばれる。

 

福禄寿:

道教の宋の道士天南星、または、道教の神で南極星(カノーブスのこと)の化身の南極老人。寿老人と同一神とされることもある。長寿と福禄をもたらす。

 

布袋:

唐の末期の明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在したといわれる仏教の禅僧。その太っておおらかな風貌が好まれ、手にした袋から財を出し与えてくれる。弥勒菩薩の化身とも言われる。

 

弁才天:

七福神の中の紅一点で元はインドのヒンドゥー教のの女神であるサラスヴァティー神。仏教に取り入れられ音楽・弁才・財福・知恵の徳のある天女となり選ばれた。七福神の一柱として「弁財天」と表記されることが多い。

 

寿老人:

道教の神である南極星(カノープスのこと)の化身の南極老人。日本の七福神の一人としては白髭明神とされることもある。

 

 

 

 

八福神:

七福神に一神を加えて八福神としているケースがある。



 

お多福:

京都の清水寺の「清水寺八福神」、横浜市鶴見区の「鶴見八福神」ではお多福を加えて八福神とする。 お多福の起源は、鎌倉時代の大工の高次の妻、阿亀(おかめ)。これに女性を表す舞の面(お多福)や、天之宇受売命のイメージが習合した神格。寿老人(白髭明神)とセットで祀られたり、弁天の代わりに入ることもある。


 達磨:

横浜市の瀬谷区の「瀬谷八福神」、愛知県豊橋市の「吉田七福神」では、達磨を加えて八福神とする。達磨は、5世紀ごろの人で南インドの王子ともペルシア人ともいわれる高僧で、中国の南朝の宋に渡り極東の禅宗の開祖となった。少林寺において坐禅9年、手足が腐って落ちたと伝わる。日本の曹洞宗や臨済宗もその門葉。

 

吉祥天:

千葉県八千代市の「八千代八福神」、東京八王子の「八王子八福神」、埼玉久喜市栗橋の「くいはし八福神」であは吉祥天を加え八福神とする。吉祥天とはインドのラクシュミー女神のことで、毘沙門天の妹または妃という。幸福・美・富などの神。弁天の代わり(または福禄寿の代わり)に七福神に入れられることがある。


宇賀神(男弁天):

東京都文京区の「小石川七福神」では弁才天が通常の弁天像ではなく「宇賀神」となっている。宇賀神は人間の頭で首から下は蛇という神で、弁財天と習合した日本土着の神である。宇賀神を弁才天とすること自体は、他の一般的な七福神でもままあることで珍しいことではないが、小石川七福神の場合「男弁天」「女弁天」の二神となっており合わせて八福神となっている。この男弁天・女弁天は、どちらも通常の弁天像ではなく、宇賀神であり、男弁才天は老人(男性)の宇賀神、女弁天は若い美女の宇賀神となっている。